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お金ももらわれへんのに

 
祖母が危篤状態になったと母からメールがあった朝、
今週いつなら大阪に帰れるだろと、
心の中で現実的なパズルをしていました。
こっちの撮影はお任せしたとして、あっちは動かせないでしょ。
打ち合わせはずらして、
これは欠席にさせてもらって……
そんな打算的な思惑はすっとばして、
翌朝に亡くってしまった。

おばあちゃんに最後に会ったのはいつだったかなあ。
認知症が進んでから、父が近くで面倒をみるようになったのは
震災より前だったか、あとだったか。

ショックというより、
こんなことを言ったら不謹慎だし、
不義理な孫だけれども
(ああ、お父さんやお母さんがいろんなことからやっと解放されるんだなあ……)
ということを一番最初に思った。


打ち合わせを2つ終えて新幹線に飛びのって喪服に着替えて、
お通夜の式場について受付の段取りを聞いて、
参列者の皆さんをお迎えして……というところまでは完全に仕事モードでした。

お通夜が終わって、お清めの会っていうんですか、お寿司とビールみたいな会も終盤。
そろそろ帰りたいなあ、というころに
「お棺が開いたままだよ、締めなくていいの?」と弟が言って
あらあらと扉を締めながら、祖母のお顔を覗き込んだとき
胸を貫かれたようにわっ!と思わず声を上げそうになりました。



鼻が一緒!!


鏡を覗き込んだみたいに、自分の顔の鼻がそこにありました。
一番高いとこじゃなくて、鼻下から唇にかけてのラインっていうかミゾみたいなとこの形が
私が毎日見ている「それ」だったのです。

血がつながっている人がこの世からいなくなるっていうことが
こんなにも心がちぎれるような感覚なのかと。
悲しいとか涙が出るとかそういうことではないのです。
自分の一部が消えてなくなったという不安定な感情なのでした。


八百屋をしていたうちの父方の実家は、帰省してもいつも忙しそうで
(年末は商店街のかきいれどき)
おばあちゃんに可愛がってもらったとか、遊んでもらった、
とかいう初孫らしい思い出はあまりなくて
しゃかしゃかと働くおばあちゃんの邪魔にならんようにしとこ、
という記憶しかない。


親族控え室に、祖母が最近通っていたデイケアサービスの人が作ってくれた写真日記がありました。
「今日は髪飾りをつくりました」
「今日は朝顔を折りました」
「今日は七夕飾りをつくりました」
「ボーリングをしました。まけマシタ」
と写真の下に祖母の字。見覚えのある字よりだいぶ震えて乱れているが筆圧が強い。

「おばあちゃん、いろいろつくらされてんだなー」
って思わずひとりごちたら、伯母から
「そんなふうにとらえたらあかん。生きる喜びをつくってくれてんねんよ」
とたしなめられた。

父は思い出す。
「デイケアから帰ってくるとな、“はあー、今日もようけ働いた”って
“なのに、一銭ももらえんねん”ってぶつくさ文句言いよってな。
“明日はもう行かん。絶対行かん!”って言いながら、翌朝また出掛けていくんだから」

写真で見ると楽しそうだろう、こんなにいつも笑ってるの、初めて見たよ、
と父は言う。

やっぱり「やらされてた」っておばあちゃんも思ってたんじゃん。
でも好きなんだなあ、働くの。
はたらきもんでお歌が好き。
根っからの商売人。
65やから、と今年のお正月まで言い張っていたという。
82だけどね。
「65で止まってんねん。それ以上数えられへん」

私にもそんな血が流れてるなんていいじゃない。










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